日に善悪なし。心がけしだいで、よい日に(2)

12月 20, 2012 - 12:18 pm コメントは受け付けていません。

 前回の話を続けたいと思います。
 仏教では、日の善悪や縁起かつぎなどを否定されています。間違
ったことを信じていては、不幸になるからです。正しい教えのとお
りに実践するのが幸せへの第一歩、親鸞聖人から、真実をお聞きし
ましょう。
 親鸞会で話を聞きました。

 日の善悪や迷信に迷惑するのは、昔だけの話ではありません。現
代も同様です。太平洋戦争時の連合艦隊司令長官・山本五十六は、
縁起をかついで、決まった日ばかり出撃したばかりに、アメリカに
見破られ、多大な損害を受けたといわれます。
 パソコンが普及し、宇宙へ人が往復する時代になった今のカレン
ダーにも、大安、仏滅、三隣亡などが付記され、結婚は大安吉日、
葬式は友引を避けるのが常識のようになっています。
 親鸞聖人は、経典を引用され、「占相を離れよ」「歳次や日月の
吉凶を選ばず」「吉良日を視ることを得ざれ」と重ねて、日の善悪、
吉凶を信じてはならぬと教えられています。
「吉凶の相を執じ、鬼神を祭りて、極重の大罪悪業にして、近く無
間罪を生ず」(『教行信証化土巻』)
 親鸞聖人は、日月だけでなく、墓相、家相、印相、人相、手相な
どの吉凶の占いは、みな迷信であり、無間地獄に堕ちる業であると
まで厳しく戒められています。
 蓮如上人のご教化を受けた朝倉孝景は、ただちに迷信を排除し、
子孫が迷わぬよう、家訓に示しました。「一切の人民を仏道に勧め
入れるを本意とすべし」と、国主としての心構えを後継者に伝えた
といいますから、釈尊教団の発展に尽くしたビンバシャラ王とイダ
イケを見習おうとしたのではないでしょうか。



日に善悪なし。心がけしだいで、よい日に

12月 15, 2012 - 12:18 pm コメントは受け付けていません。

 今日は、友引だから悪い日だ、大安だからよいだろうという言葉
を、時々、耳にします。
 しかし、本当に、その日そのものに、よい、悪いがあるのでしょ
うか。同じ日なのに、よいことがある人もあれば、悪いことが起き
る人もあります。
 親鸞会で、話を聞いてきました。

 越前国(福井県)の守護大名・朝倉孝景は、蓮如上人からご教導
をお聞きした後、十七箇条の家訓を制定しました。「朝倉孝景条々」
として有名です。その中でも注目されるのが、日の善悪を否定した
ところでしょう。
「合戦の時、吉日を選び、方角を考て時日を移す、甚口惜候。如何
に能日なるとて、大風に船を出し、大勢に独向わば、其甲斐有るべ
からず候」(第十三条)
 これは戦国乱世の大名からすれば、画期的なことでした。当時、
教科書のように利用されていた中国の孫子、呉子などの兵法書は、
加持祈祷、占いなど、迷信がかなりの比重を占め、出陣や開戦の日
時、方角などのしきたりを示すものであったからです。実際、武田
信玄や上杉謙信が、出陣を占いで決めていたことはよく知られてい
ます。また、秀吉の九州攻略の時は、抗戦側の島津家が、「明日よ
り悪日」という軍師の勧めを入れて攻撃を中止したために、大敗を
こうむっています。次号に続きます。



十劫安心の異安心

12月 10, 2012 - 10:28 am コメントは受け付けていません。

 蓮如上人のお弟子について、親鸞会で聞きました。

 蓮如上人が、『御文章』に何度もその誤りを破ってお
られるのが、十劫安心です。『御文章』2帖目11通には
次のように教えられています。
「『十劫正覚の初より、我等が往生を、弥陀如来の定め
ましましたまえることを忘れぬが、即ち信心のすがたな
り』といえり。これ、さらに弥陀に帰命して、他力の信
心を獲たる分はなし」
 十劫安心とは、「十劫の昔にすでに我々は助かってし
まっているのだから、今さら求めることも聞き歩くこと
もいらぬ」という間違った信心をいいます。一劫は四億
三千二百万年ですから、十劫とは気の遠くなるような昔
であると分かるでしょう。阿弥陀仏が、南無阿弥陀仏の
名号を完成してくだされた時をいいます。
 名号には、一切の苦しみを除き、楽を与える抜苦与楽、
破闇満願の大功徳が収められています。例えれば名号は、
飲めばどんな病気でも治る妙薬ですが、薬のできあがっ
たのを、病気の治ったことと早合点した間違いが、十劫
安心です。薬ができていても、飲まねば病気は治らない
からです。私たちは、阿弥陀仏から、名号を賜って、救
われます。

 親鸞聖人は、
「たとい 大千世界に
    みてらん火をも すぎゆきて
 仏の御名を聞く人は ながく不退にかなうなり」
 この世が、たとえ火の海になっても、その中をかきわ
けて聞法せよ、と仰います。
 蓮如上人また、
「火の中を わけても法は聞くべきに
   雨風雪はもののかずかは」
と、数え切れないほど「早く名号を頂いて、弥陀に救わ
れてもらいたい」と、『御文章』に書いておられます。
 名号が完成した時に、すでに私たちが助かっているな
らば、両聖人とも、「真剣に聞けよ」「早く薬を飲めよ」
と勧められるはずはありません。



称名正因の異安心

9月 1, 2012 - 12:18 pm コメントは受け付けていません。

 親鸞会で、蓮如上人のことを聞いてきました。
 いつも、詳しく教えていただきます。

 北陸には早くから、真宗諸派が進出していました。
 ところが、浄土真宗とは名ばかりの、本当の聖人の
教えと離れた邪義、異安心が横行していたそうです。
 蓮如上人が建立された吉崎御坊は、これら異端の
者たちとの決戦を意味しています。『御文章』を通じて
上人は、平易かつ明快に、信心の正邪を説き切られて
います。

 その一つが、称名正因の異安心です。
 ある日、赤尾の道宗(富山県)が、吉崎御坊に参詣し、
蓮如上人に申し上げました。
「念仏さえ称えていれば助けていただけるのだ、と
思っている人が大勢います。嘆かわしくてなりません」

 これは、称名正因の異安心といわれます。赤尾の
道宗が蓮如上人に申し上げているくらい、北陸に蔓延
していたに違いありません。
 蓮如上人は即座に、その日から四通の『御文章』を
矢継ぎ早に書かれ、参詣者に教示されています。

「ただ口にだにも南無阿弥陀仏と称うれば助かるべき
ように皆人の思えり。それは覚束なきことなり」
                 (三帖目二通)

「ただ声に出して念仏ばかりを称うる人は、おおよう
なり。それは極楽には往生せず」  (三帖目三通)

「ただ声に出して南無阿弥陀仏とばかり称うれば、
極楽に往生すべき様に思いはんべり。それは大に
覚束なきことなり」        (三帖目四通)

「ただ何の分別もなく、南無阿弥陀仏とばかり称うれば、
皆助かるべきように思えり。それはおおきに覚束なき
ことなり」            (三帖目五通)

 浄土真宗の教義の骨格は、
「信心正因、称名報恩」
であり、信心一つで助かるのであって、称名念仏は、
御恩報謝であると教えられています。

「阿弥陀仏は、お慈悲な仏さま、念仏さえ称えていれば、
死んだら極楽、死んだら仏」などという妄言は、真宗の
教えを根本から転覆させてしまいます。
 親鸞聖人や蓮如上人は一度も、「称名念仏励め、
そうすれば助かる」などと仰ったことはないからです。

 親鸞聖人や蓮如上人が教えられていないことを、
どれだけ信じても、真の救いにはあえません。
 まず、正しい教えをよくお聞きしなければならないと
知らされます。



北陸の秘事法門

8月 15, 2012 - 12:18 pm コメントは受け付けていません。

 先回は、蓮如上人時代、東北や、北陸にも秘事法門が
潜行伝播していたことを、浄土真宗親鸞会で聞きました。
 続けて親鸞会で、蓮如上人が北陸に滞在中のことを
聞いてきました。

「越前の国に弘まるところの秘事法門といえることは、
更に仏法にてはなし。あさましき外道の法なり。これを
信ずる者は、永く無間地獄に沈むべき業にて徒事なり」
(御文章二帖目十四通)
 
 ここで蓮如上人は、秘事法門は仏法でない、外道だと、
明らかに仰っています。そんな外道を信じていては、
長い間、地獄に沈んで苦しまねばならないと、ご教示です。

 蓮如上人は、早速、徹底法戦に立ち上がっておられます。
吉崎御坊に滞在されていたわずか四、五年の間に、北陸の
土蔵秘事の者たちがほとんど、秘事を捨て、真実を求める
ようになったのです。

『蓮如上人縁起』には、次のように記されています。

「上人、越前の国に五年の寒暑を送たまうに、かの国に
ひろまる所の秘事法門を執する族、多く改悔懺悔せり」

 土蔵秘事との戦いは、蓮如上人の時代だけではありません。
今も、信仰に悩む同朋たちの心のスキを狙っています。
 決して迷わぬよう、まず、自らが教えをよく知り、
正確に伝えていきたいと思います。



浄祐が去った直後の『御文章』

8月 8, 2012 - 12:18 pm コメントは受け付けていません。

 浄土真宗親鸞会で、蓮如上人のことを、続けて聞いて
います。今回は、前回の話の続きでした。

 浄土真宗の僧侶でありながら浄祐は、土蔵秘事に迷い、
門徒に勧めていました。その浄祐が、東北から、吉水御坊
に参詣し、蓮如上人から、仏教の真髄である親鸞聖人の
教えを厳しくお聞きしました。

 その浄祐が東北に帰っていった後、上人はすぐに、
東北の門徒衆に対して『御文章』を書かれています。
邪義に惑わされぬためです。

 二帖目二通に、このように教えられています。
「この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、
無間地獄に堕在すべきものなり」
「親鸞聖人が教えられた正しい信心を獲得しなければ、
極楽に往生するどころか、苦しみの世界に堕ちて
いかなければならないぞ」

 また、次のようにも戒められています。
「弥陀を一心一向に信楽して二心のなき人を、弥陀は
必ず遍照の光明をもって、その人を摂取して捨てたまわざる
ものなり。(中略)この外に、なお信心ということの、
ありという人これあらば、大なるあやまりなり。すべて
承引すべからざるものなり」
 阿弥陀仏に、一心一向に向かう以外に助かる道はない、
「一向専念無量寿仏」以外を言う者があっても、
一切聞いてはならない、と、断言しておられます。

 土蔵秘事は、決して東北だけではありません。
越前(福井県)を中心に、北陸一帯に蔓延していたと
いわれます。今なお、浄土真宗が盛んな地域には、
土蔵秘事が潜行伝播しているから、気をつけねばならないと
聞いてきました。



浄祐の仏縁をも念じられ

8月 2, 2012 - 11:41 am コメントは受け付けていません。

■浄祐、その後

 前回に続き、親鸞会で話を聞いてきた蓮如上人と浄祐との
やり取りを続けたいと思います。

(◆前号の粗筋)

 蓮如上人が布教を始められた吉崎御坊(福井県)は、
日本各地から参詣者が群参、門前市をなす活況を呈して
いた。その中に、浄土真宗の僧侶ながら土蔵秘事を始め、
大勢の門徒を迷わせていた奥州の浄祐という男も参詣
していた。蓮如上人は浄祐を見られて、「切り刻みても
あくかよ」と、怒りをあらわにされた。

(本文)

 浄祐は果たして、生きて帰れたのでしょうか。
 上人が、あれだけ激怒されたのですから、弟子たちも
黙っていなかったに違いありません。
 ところが、『蓮如上人縁起』には、このような記述が
残されています。
「浄祐下向の後、一通の御文をしたためて、奥州の同行へ
下さる。もしかの浄祐、時節到来せば、悔改せまじきもの
にもあらずと、仰られき」
 浄祐は、東北へ帰っていきました。
 親鸞聖人のお言葉を説かれる蓮如上人のご説法を聴聞し、
浴びるように諭されて、放免されたのではないでしょうか。
結末は見えてきませんが、浄祐の後ろ姿に蓮如上人は、
「あの者も、時節到来すれば、悔い改めるだろう」
と仰っているのが分かります。
 ただこの上人の怒りは私憤ではありません。真実を
ネジ曲げた大罪への怒りからです。その罪は厳しく糾弾
されましょうが、重罪を犯した者にも、弥陀の照育により、
いつかは悔い改めるだろう、いや、早く、真実に向かって
もらいたいと、ひとえに浄祐の仏縁を念じられる上人の、
底知れぬ慈愛が伝わってくるようです。



切り刻みても飽くかよ(後半)

5月 2, 2012 - 12:03 pm コメントは受け付けていません。

(前号の粗筋)

 蓮如上人が吉崎に入り、弥陀の本願を説かれるや、大勢の
参詣者であふれ、中には、遠路、東北から足を運ぶ門徒も
あった。
 ところが、浄土真宗の僧侶でありながら土蔵秘事で大勢を
迷わせていた浄祐という男も参詣、それを見られた蓮如上人
は、どうされたか。

 浄祐を見られた蓮如上人は、激しい怒りをあらわに
されます。
「親鸞聖人のみ教えをネジ曲げるとは、何と憎たらしい奴だ」
 これだけではありません。歯をくい締められて、
「切り刻んでも飽くかよ、飽くかよ」
と、繰り返し叫ばれたともいいます。
 八つ裂きにしてもすまない気概に、そばにいたお弟子は、
皆、戦慄したでしょう。その緊迫した様子を、
『御一代記聞書』に次のように著されています。
「蓮如上人、奥州の浄祐を御覧候て、以ての外御腹立候て、
『さてさて親鸞聖人の御流を申しみだすことの浅ましさよ、
憎さよ』と仰せられ候て、御歯をくい締められて、
さて『切り刻みても飽くかよ、飽くかよ』と仰せられ候」
(二四三)

 84歳の聖人が長男・善鸞を勘当され、ご臨終にお詫びに
きた善鸞に、面会さえ許されていないことからも、
善知識の、邪を憎まれる鬼気迫る激しさが、知らされます。



切り刻んでも飽き足りぬ

4月 2, 2012 - 1:57 pm コメントは受け付けていません。

「切り刻んでも飽き足らない奴」――。過激で辛辣なこの言葉は、
ほかならぬ蓮如上人の仰せです。
 温厚な上人を知る人には、信じられないでしょう。しかし、
そばに居合わせたお弟子の記録を読めば、蓮如上人の、さらなる
真実に対する厳しさ、潔癖さが知らされます。
 文明五年の冬、吉崎御坊(福井県)で、何が起きたのか。
 親鸞会で、話を聞くことができました。

■浄祐(奥州)の異安心

 蓮如上人が、吉崎御坊(福井県)へ入られて2年後の文明五年、
早くも御坊内は参詣者であふれ、活況を呈していました。
「加賀・越中・能登・越後・信濃・出羽・奥州七箇国より、
彼の門下中、この当山へ、道俗・男女参詣をいたし、群集せしむる」
(1帖目7通)と、『御文章』にあるように、東北からも、
多くの参詣者があったと分かります。

 その中に、浄祐という男がいました。浄土真宗の僧侶でありながら、
土蔵秘事に陥り、大勢の門徒を迷わせていました。
 土蔵秘事とは、聖人の長子・善鸞が関東で、「オレは、父上から、
秘密の法文を伝授された。この法によれば一晩で信心獲得できる」と
言い出した邪説です。今なお、秘密主義の異安心として根強く
潜行伝播し、真宗の盛んな地では、必ずといっていいほど暗躍しています。
 後生の一大事に悩み、早く信心獲得したいとあせる門徒に近づき、
「聴聞しているだけでは救われない」
「信心獲得するには、コツがある」
などと吹き込み、犠牲者を拡大しているのです。
 しかし浄土真宗には、他人に言えない秘密など一切ありません。
信心について「これは秘密だ」などと言う者は、土蔵秘事に
間違いないといっていいでしょう。
 その土蔵秘事の異安心に染まった浄祐が、奥州から吉崎へ来た目的は
何なのか。遠路いとわず、東北から参詣する仏縁深い門徒を地獄へ
引き込む魂胆か。
 次回に、続けます。



浄土真宗の会合の目的

2月 29, 2012 - 4:36 pm コメントは受け付けていません。

(前号のあらすじ)

 超勝寺(福井県)に立ち寄られた蓮如上人は、
その日、設けられていた月一度の会合の様子を
ごらんになり、
「仏法の次第以てのほか相違せり」
と激怒なされている。
 各地の門徒が寺に集まってはいるものの、
実態は、住職を囲んだ酒宴に過ぎなかったからだ。
 浄土真宗で、会合とは、何のためにあるのか。
 蓮如上人にお聞きしてみよう。

 浄土真宗における会合の目的を、蓮如上人は
『御文章』にこう教えられる。

「当流において毎月の会合の由来は、何の用ぞ
なれば、在家無智の身をもって徒に暮し、徒に
明して、一期は空しく過ぎて、終に三塗に
沈まん身が、一月に一度なりとも、せめて
念仏修行の人数ばかり道場に集りて、
『わが信心は、ひとの信心は、如何あるらん』と
いう信心沙汰をすべき用の会合なるを……」
 在家の我々は、自分の心のままに生活して
いると、いたずらに月日を送ってしまう。
一生はあっという間に過ぎ去り、臨終を迎え、
三悪道(地獄界・餓鬼界・畜生界)へ堕ちて
ゆかねばならない。だから、せめて毎月一度でも
会合の日を決め、仏法を聴聞し、「私の信心は
こうだ、あなたはどうか」と信心の沙汰をして、
光に向かうのが会合の目的なのだ、とご教示で
ある。

 超勝寺の会合を見られた上人が、厳しく
戒められたのも、本来の目的を完全に見失い、
ただ、酒、飯、茶、世間話などに終始して
いたからだ。

「言語道断あさましき次第なり。所詮、自今
已後は、かたく会合の座中において、信心の
沙汰をすべきものなり」
と、蓮如上人は、『御文章』一帖目十二通を
結んでおられる。
 いつの時代でも、決して忘れてはならない
ご金言に違いない。
 門徒にはこのように『御文章』で戒められたが、
一方、超勝寺の住職には厳罰を与えられた。
「当住持は、この門弟あずかるべき器にあらず」
(『反故裏書』)と仰って、住職を罷免し、
追放されたという。
 ここで「門弟あずかるべき」とあるのは、
親鸞聖人から、「間違いなく、往生浄土の身に
救われるまで導きなさいよ」とお預かりして
いる大切なご門徒だからである。門徒は決して
住職の私有物ではない。住職の責務がいかに
重大か、知らされる。