曹洞宗の僧が弟子に(石川県門前町)
親鸞会で、蓮如上人のお話を聞くことができました。
日本海に、「く」の字型に突き出た能登半島。ここに、真宗の基盤が築かれたのは、蓮如上人の時代でありました。
門前町(現・輪島市)の町の中心に、曹洞宗の総持寺があります。蓮如上人より百年以上前から能登に勢力を誇っていました。その周辺に多いのが、真宗寺院です。今日まで、幾多の法戦が展開されたに違いありません。蓮如上人時代は、どうだったのでしょう?
禅宗の学者として知られる月峰は、総持寺の末寺・大覚寺の住職でした。
浄土真宗の急速な発展を、苦々しく眺めていた月峰は、
「何が浄土仏教だ。大衆をだましおって。蓮如の誤りを正してやるわ」
と意気込み、吉崎御坊へ乗り込んできました。
攻撃が目的の論客にも、蓮如上人は、経典の根拠を引かれ、一つ一つ丁寧に答えられたといいます。
問答を重ねるうちに、さすがの月峰も、
「後生の一大事は、座禅を組んだくらいでは解決できない。阿弥陀仏の本願を聞信しないかぎり、救われる道はない」
と知らされ、敗北を認めざるをえませんでした。
ところが、月峰は、敗れて腹を立てるどころか、真実知らされた喜びに包まれていました。その場で曹洞宗を捨て、上人のお弟子になったのです。
「一向専念無量寿仏」これより外に、我々の助かる道のないことを、蓮如上人は、懇ろに諭されています。
月峰は、門前に帰るとすぐに、曹洞宗の仏像を焼却し、「南無阿弥陀仏」の御名号を本尊としています。寺の名前も「大覚寺」から「満覚寺」に改め、浄土真宗の布教に励んだといいます。
門前から吉崎御坊へ、法論に乗り込んだ住職が、もう一人います。やはり曹洞宗総持寺の修行僧で、その名は円智。浄土仏教をあなどり、簡単に、蓮如上人を打ち破って帰るつもりでしたが、蓮如上人のお徳に引かれ、数週間滞在して、ご説法を聴聞しました。
「蓮如上人こそ、わが人生の師」
と確信した円智は、上人のお弟子となり、明敬寺を開いています。寺の縁起には、
「聞法随喜して真宗に帰す」
と記されています。
経石山の由来(石川県穴水)
七尾湾に面した穴水で、天台、真言などの僧侶が、続々と吉崎を訪れ、蓮如上人のご教化をうけ、やがて真宗に改宗しています。
中でも、天台宗法栄寺の比良祐教という人は、蓮如上人のお弟子になった時、これまでの経典や仏像などすべてを地中に埋め、記念の石碑を建てて、改宗のしるしとしています。
後世に伝えようと決めた山号は、「経石山法栄寺」。
しかし、今は、記念の石碑がどこにあったのか、分からないといいます。
蓮如上人にめぐりあい、真実の教えに触れた祐教が、「一向専念無量寿仏」に反する一切を埋め、末代までも忘るなと遺言した精神は、悲しくも、伝えられていないようです。
「経石山」の山号に込められた心を、よく知らねばなりませんね。