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曹洞宗の僧が弟子に(石川県門前町)

7月 30, 2011 - 9:39 pm コメントは受け付けていません。

 親鸞会で、蓮如上人のお話を聞くことができました。

 日本海に、「く」の字型に突き出た能登半島。ここに、真宗の基盤が築かれたのは、蓮如上人の時代でありました。

 門前町(現・輪島市)の町の中心に、曹洞宗の総持寺があります。蓮如上人より百年以上前から能登に勢力を誇っていました。その周辺に多いのが、真宗寺院です。今日まで、幾多の法戦が展開されたに違いありません。蓮如上人時代は、どうだったのでしょう?

 禅宗の学者として知られる月峰は、総持寺の末寺・大覚寺の住職でした。
 浄土真宗の急速な発展を、苦々しく眺めていた月峰は、
「何が浄土仏教だ。大衆をだましおって。蓮如の誤りを正してやるわ」
と意気込み、吉崎御坊へ乗り込んできました。

 攻撃が目的の論客にも、蓮如上人は、経典の根拠を引かれ、一つ一つ丁寧に答えられたといいます。
 問答を重ねるうちに、さすがの月峰も、
「後生の一大事は、座禅を組んだくらいでは解決できない。阿弥陀仏の本願を聞信しないかぎり、救われる道はない」
と知らされ、敗北を認めざるをえませんでした。

 ところが、月峰は、敗れて腹を立てるどころか、真実知らされた喜びに包まれていました。その場で曹洞宗を捨て、上人のお弟子になったのです。
「一向専念無量寿仏」これより外に、我々の助かる道のないことを、蓮如上人は、懇ろに諭されています。

 月峰は、門前に帰るとすぐに、曹洞宗の仏像を焼却し、「南無阿弥陀仏」の御名号を本尊としています。寺の名前も「大覚寺」から「満覚寺」に改め、浄土真宗の布教に励んだといいます。

 門前から吉崎御坊へ、法論に乗り込んだ住職が、もう一人います。やはり曹洞宗総持寺の修行僧で、その名は円智。浄土仏教をあなどり、簡単に、蓮如上人を打ち破って帰るつもりでしたが、蓮如上人のお徳に引かれ、数週間滞在して、ご説法を聴聞しました。

「蓮如上人こそ、わが人生の師」
と確信した円智は、上人のお弟子となり、明敬寺を開いています。寺の縁起には、
「聞法随喜して真宗に帰す」
と記されています。

経石山の由来(石川県穴水)

 七尾湾に面した穴水で、天台、真言などの僧侶が、続々と吉崎を訪れ、蓮如上人のご教化をうけ、やがて真宗に改宗しています。
 中でも、天台宗法栄寺の比良祐教という人は、蓮如上人のお弟子になった時、これまでの経典や仏像などすべてを地中に埋め、記念の石碑を建てて、改宗のしるしとしています。
 後世に伝えようと決めた山号は、「経石山法栄寺」。
 しかし、今は、記念の石碑がどこにあったのか、分からないといいます。
 蓮如上人にめぐりあい、真実の教えに触れた祐教が、「一向専念無量寿仏」に反する一切を埋め、末代までも忘るなと遺言した精神は、悲しくも、伝えられていないようです。
「経石山」の山号に込められた心を、よく知らねばなりませんね。

荒れ狂う雨でも、おさよ婆さん、食事を運ぶ

11月 30, 2010 - 12:43 pm コメントは受け付けていません。

 親鸞会で、蓮如上人についてのエピソードを聞きました。

(前回までのあらすじ)

・蓮如上人が吉崎を拠点に布教を始められるや、豊原寺や平泉寺など
天台宗の大寺院の勢力下にあった末寺が、上人を慕い、次々に改宗した。
怒り心頭に発した天台宗の僧兵たちは、山中温泉(石川県)へ向かわれる
道中、蓮如上人を急追し、お命を狙わんとする。

 山中温泉まで、蓮如上人の案内役を務めた円慶房は、峠で僧兵たちの
姿を確かめると、すぐに近くの村のおさよ婆さん宅に駆け込みます。
 婆さんは早速、裏の麦わらの下に一行をかくまい、家の前にござを
敷いて麦を打っていました。やがて、ドカドカと駆け込んできた僧兵が、
おさよ婆さんに詰問します。

「おい、婆さん、ここを、蓮如が通らなかったか」
「お坊さんたちなら、川下へ行かれたよ」
「本当か?隠し立てすると命はないぞ」
「疑うんなら、どこでも捜せばいいじゃないか」

 僧兵は家捜ししますが、見つかりません。やむなく、急いで川下へと
走り去っていきました。
 上人は、間一髪、危機をまぬがれ、以来、数日間、おさよ婆さんの
案内で、般若岩と呼ばれる洞窟に身を隠されることになりました。
 般若岩は、蓮如上人法難の場として、長く大内村の人々によって
死守されてきました。毎年、欠かさず、法要が勤修され、上人の
ご苦労をもしのんできました。が、昭和58年、廃村に伴い、廃れ、
今は、来訪者も皆無といいます。
 大内峠から2キロほど下った国道沿いに、おさよ婆さんの墓があり、
その碑文には、こう書かれています。
「蓮如上人、越前豊原の僧徒に追われたまい、大内の鈴村家の麦打ち中、
その場の下へ飛び込ませられたり。間もなく僧徒押し寄せ、家捜し
いたせども、さらに気づかず引き返せり。それより、おさよ婆、上人を
この上の般若岩にご案内申し上げ、荒れ狂う雨の日も分け登りて、
朝夕食事を運びて、お仕え申せり」

箸塚に立つ柳の大木と、歯形の葦

2月 8, 2010 - 4:57 pm コメントは受け付けていません。

 箸塚(滋賀県守山市)に立つ「柳の大木」と「歯形の葦」を、
ご存知でしょうか?
 蓮如上人に伝わるエピソードを、親鸞会で聞くことができました。
 紹介しましょう。

 1日およそ35000台もの車が通行し、琵琶湖の西岸と東岸とを、
陸路に比べ、50分も短縮して結ぶのが、琵琶湖大橋。
 大橋の西近辺がちょうど大津市堅田、東近辺は守山市金森に
あたります。
 蓮如上人は、この堅田と金森の間を、よく船で往来されたと
いわれます。

 そのご布教の足跡「蓮如上人箸塚」が湖畔に残されています。
 琵琶湖の入江の中でも、一段とくぼんだ場所にあって、周囲を
石の柵で囲まれ、「蓮如上人箸塚」と刻まれた歴史を感じさせる
細い石柱が立っています。
 中には、湖面から吹く風になびき、そよそよと枝を揺らす
柳の大木が立ちます。

 蓮如上人と、柳の木との関係は??
 昔から語り継がれる言い伝えによると……。

 ある時、蓮如上人が、堅田から守山の赤野井浜に船でお着きに
なり、浜辺で弁当を召し上がられました。
 食事後、使われた箸をほとりに植えられると、後日、それが、
大きな柳の木になったといわれます。

 さらに、この柳の木の周りに茂る葦の葉にも、他で見られぬ
特徴があります。

 それは……。

 葦の細長い葉の中央に、ギザギザの傷があって、あたかも
歯形のような斑点がついているのです。

 実はこれが、蓮如上人の歯形だと、伝えられています。

 上人が比叡山の僧兵から逃げておられる時、葦の葉を噛まれて
飢えをしのがれたといわれ、以来、この辺の葦の葉には
歯形がつくようになったと、村の伝承に残っているそうです。

 身の危険をも顧みられず、ひたすら真実開顕の一路を進まれる
蓮如上人のご恩に感泣した人々が、箸塚や葦の葉に託して語り伝えた
のでしょう。