Archive for the ‘蓮如上人*こぼれ話’ Category

浄祐の仏縁をも念じられ

8月 2, 2012 - 11:41 am コメントは受け付けていません。

■浄祐、その後

 前回に続き、親鸞会で話を聞いてきた蓮如上人と浄祐との
やり取りを続けたいと思います。

(◆前号の粗筋)

 蓮如上人が布教を始められた吉崎御坊(福井県)は、
日本各地から参詣者が群参、門前市をなす活況を呈して
いた。その中に、浄土真宗の僧侶ながら土蔵秘事を始め、
大勢の門徒を迷わせていた奥州の浄祐という男も参詣
していた。蓮如上人は浄祐を見られて、「切り刻みても
あくかよ」と、怒りをあらわにされた。

(本文)

 浄祐は果たして、生きて帰れたのでしょうか。
 上人が、あれだけ激怒されたのですから、弟子たちも
黙っていなかったに違いありません。
 ところが、『蓮如上人縁起』には、このような記述が
残されています。
「浄祐下向の後、一通の御文をしたためて、奥州の同行へ
下さる。もしかの浄祐、時節到来せば、悔改せまじきもの
にもあらずと、仰られき」
 浄祐は、東北へ帰っていきました。
 親鸞聖人のお言葉を説かれる蓮如上人のご説法を聴聞し、
浴びるように諭されて、放免されたのではないでしょうか。
結末は見えてきませんが、浄祐の後ろ姿に蓮如上人は、
「あの者も、時節到来すれば、悔い改めるだろう」
と仰っているのが分かります。
 ただこの上人の怒りは私憤ではありません。真実を
ネジ曲げた大罪への怒りからです。その罪は厳しく糾弾
されましょうが、重罪を犯した者にも、弥陀の照育により、
いつかは悔い改めるだろう、いや、早く、真実に向かって
もらいたいと、ひとえに浄祐の仏縁を念じられる上人の、
底知れぬ慈愛が伝わってくるようです。

岩屋の名号。教えの隆盛と、その後

2月 8, 2012 - 9:50 am コメントは受け付けていません。

(前号の続き)

 先月に続き、福井県南越前町(旧・今庄町)の
山奥に残る「蓮如上人遺跡」の話です。
 爆発的な浄土真宗の発展をねたんだ他宗から
命をつけ狙われた蓮如上人は、危険が及ばなく
なるまで岩窟に身を隠されました。その間、給仕を
続けたのは、地元の老婆でした。

 危険が去った後、別れを惜しむ老婆に上人は、
「南無阿弥陀仏」の御名号をお書きになり、
「恋しくば 南無阿弥陀仏と称うべし
     われも六字のなかにこそ住め」
と詠まれたといいます。
 岩窟は「蓮如窟」、中にご安置されている
ご名号は「岩屋の名号」といい、五百年もの間、
地元の人々に語り継がれてきたといいます。
案内板の最後は、
「蓮如上人の遺徳を偲び、参詣者のたえまがない」
と結ばれていました。

 では、今はどうなっているか?
「御名号」ではなく、地蔵のような石像が立ち、
周りに賽銭やお供物が散乱、仏像らしきものが、
いくつも並んでいるといいます。
『二十四輩順拝図会』(江戸時代の文献)には、
こう記されています。
「敦賀より六里に今庄の宿あり、夫より又三里
傍に芋ケ平という所あり、昔、蓮如上人、爰に
窮せられ給いし旧跡なりとぞ、岩の空虚なる中に、
六字の名号あり、則蓮師の御筆也と云伝えり」
(二十四輩巡拝図会)
 少なくとも江戸時代までは、こんな状態では
なかったのでしょう。
 しかし、いずれの地いずこの里も、親鸞聖人、
蓮如上人が、身命をなげうって明らかにして
くだされた教えが伝わっていないと知らされます。

■暴徒に追われ岩窟へ(福井県南越前町)

12月 5, 2011 - 4:59 pm コメントは受け付けていません。

■暴徒に追われ岩窟へ(福井県南越前町)

 福井県の地図を開くと、今庄町(現・南越前町)
の山奥に、「蓮如上人遺跡」という文字が
飛び込んできます。
 一体、どんないわれがあるのか?
 親鸞会で、詳しく話を聞くことができました。

 蓮如上人遺跡に行くには、北陸自動車道を
今庄インターで降ります。道なりに一キロほど
南へ進むと、「蓮如上人遺蹟」という大きな看板。
そこからさらに12キロほど、山あいに。眼前に
広い野原・「芋ケ平」に出ますが、到着では
ありません。
 さらに徒歩で15分、山道を登らなければ
なりません。途中、一人がやっと通れるぐらいの
橋を渡ったり、急な岩盤を斜めに登ってゆくと、
岩と岩の間にぽっかり空いた岩窟に着きます。
入り口は狭く、体をくねらせなければ、
入れませんが、中は、いくぶん広くなります。

 蓮如上人はなぜ、こんな岩窟まで、
避難されたのでしょうか。
「蓮如の由来」という道端の案内板によると、
ご布教途上で、他宗の者たちに命を狙われ、
芋ケ平まで避難されたようです。
 ちょうど畑仕事をしていた老婆が、この危難を
知り、上人をこの岩窟へご案内したといいます。
上人が、しばらく岩窟に身を隠されていた間、
その老婆は、毎日、三度のお食事を運び、心を
込めてお給仕申し上げたようです。

続きは、また今度、お伝えしましょう。

邪険な十兵衛が、一転、「どうか、中へ」。なぜ?

9月 26, 2011 - 9:08 pm コメントは受け付けていません。

 親鸞会で、蓮如上人の話を聞いてきました。
 先月の続きを、お伝えしましょう。

 蓮如上人が布教に出られた帰路、日が暮れ、途中、見えてきた
人家に寄ったものの、「坊主が大嫌いなんだ」と、戸を閉められ
てしまいました。
 やむなく上人は、作業小屋の軒下で一夜を明かされました。
 翌朝、お弟子の一人が、
「申し訳ありませんが、少しばかり食べ物を分けていただけない
でしょうか。上人さまの分だけでも……」
と頼みますが、家の主人は、
「しつこい坊主だ。まだいたのか」
といい、荒々しく物を投げつける始末。こともあろうに、
蓮如上人の頭にまでぶつけたのでした。

「おけがはございませんか」
 駆け寄る弟子たちに、上人は、
「私にけがはないが、重兵衛のような男にこそ、弥陀の本願を
伝えたいものだ」
と悲しまれました。
 この言葉を聞いた主人・重兵衛は、雷に打たれたようにハッと
しました。己の欲深く冷酷な心が照らされ、いたたまれなく
なったからです。
「申し訳ありません。これまで見てきた坊さんとは、全く違う方
のようです。どうか、中へお入りください」
 丁重にお詫びして、上人を、お迎えしました。

 もう少し続きます。

上人の腕の中、泣き止んだ赤ん坊。それを見た仏法嫌いの父親は……

6月 8, 2011 - 4:29 pm コメントは受け付けていません。

 親鸞会で、蓮如上人の話を聞くことができました。

 蓮如上人が、加賀の本泉寺(現在の金沢市)に滞在しておられた時の
こと。
 聞法に訪れる人があまりにも多いため、門前の川を掘りかえ、参詣に
便利な道を、新たに造ることになりました。

 ところがただ一人、邪険で仏法嫌いな高宗兵衛という男が、屋敷の
移転を承知しません。
 そこで、上人自ら頼みに行かれることに。

 それでも宗兵衛は、意地悪く、奥の部屋に隠れて会おうとしません。
 客間で蓮如上人が待たされていると、隣の部屋で寝ていた赤ん坊が
泣き出します。

 上人は、赤ん坊をあやされながら、
「大きくなったら仏法を喜んでおくれ。お前の両親は仏法が大嫌い
でなぁ。死んだ後のことも心配しないで日暮しをしている」
と話しかけられると、赤ん坊は急に泣き止んで話を聞くようなそぶりを
したといいます。上人は、阿弥陀仏の本願を独り言のように、懇ろに
話しかけられました。

 奥の部屋で聞いていた宗兵衛は心打たれ、走り出て、蓮如上人に詫び、
わが身の浅ましさを懺悔して、熱心に仏法を聞き求めるようになったと
いいます。

死んだ牛へ一心に青草を与えるのは、なぜ?

4月 2, 2011 - 4:03 pm コメントは受け付けていません。

郷士・三郎右衛門の仏縁(小松市)

 親鸞会で、蓮如上人の話を聞いてきました。

 昔、西俣の里(小松市)に、代々、三郎右衛門の名を継ぐ郷士がいました。
 その家に、男の子に続き、女児が生まれ、夫婦は大喜び。娘の成長を何よりの楽しみにしていました。
 ところが、愛娘16歳の春、風邪がもとで病の床に臥し、「医者よ、薬よ」と手を尽くす両親の介抱も空しく、あわれ世を去ってしまったのです。
 天を仰いで茫然自失、地に伏して号泣しながら遺体にとりすがってみても、どうしようもありません。涙を抑え、粛々と野辺送りを済ませたあとは、一つまみの白骨だけが残りました。
 生前の娘の面影をしのび、二人は、あらゆる珍味をその白骨の前に供えることを、絶やしませんでした。
 一日中、涙に暮れる主人を目の当たりにしたこの家の使用人たちは、「何とかならぬか」と話し合いを始めます。その結果、「蓮如上人に救っていただくしかない」と、意見が一致し、主人を説得して、上人まします吉崎へ向かいました。
 事前に連絡を受けていた蓮如上人は、一計を案じられます。三郎右衛門が近くの野原を通るころを見計らい、一人の弟子に、死んだ牛の口元へ一心に青草を与えさせていました。
 ほどなく通りかかった三郎右衛門がこれを見て、大笑します。
「もう、やめたほうがよい。牛はすでに死んでいる。草を与えて何になるというのだ」
 すると、弟子は振り返って言います。
「よくぞ仰ってくださいました。この牛は頭も口もありますが、死んでいますから食べることはできません。ところがあなたは、娘さんの身体がすでに灰となり、一つまみの白骨になっても、毎日、ご馳走を供養していると聞きます。同じことではないでしょうか……。早くそれに気づき、真実の法を聞かれるように、このようにしていたのです」
 御前に参りひざまづく三郎右衛門に、蓮如上人は、静かに諭されています。
「寿命に差はあっても、生まれたからには必ず死なねばなりません。娘さんだけではない。そなたにもやがて死が訪れるのだ。明日まで生きられる保証はどこにもない。命あるうちに、阿弥陀仏の本願に救い摂られなければ、来世は一大事ですよ」
 わが身の無常と、暗い後生に驚いた三郎右衛門は、家督を息子に譲り、以来、聞法一筋の生活に生きたといいます。

荒れ狂う雨でも、おさよ婆さん、食事を運ぶ

11月 30, 2010 - 12:43 pm コメントは受け付けていません。

 親鸞会で、蓮如上人についてのエピソードを聞きました。

(前回までのあらすじ)

・蓮如上人が吉崎を拠点に布教を始められるや、豊原寺や平泉寺など
天台宗の大寺院の勢力下にあった末寺が、上人を慕い、次々に改宗した。
怒り心頭に発した天台宗の僧兵たちは、山中温泉(石川県)へ向かわれる
道中、蓮如上人を急追し、お命を狙わんとする。

 山中温泉まで、蓮如上人の案内役を務めた円慶房は、峠で僧兵たちの
姿を確かめると、すぐに近くの村のおさよ婆さん宅に駆け込みます。
 婆さんは早速、裏の麦わらの下に一行をかくまい、家の前にござを
敷いて麦を打っていました。やがて、ドカドカと駆け込んできた僧兵が、
おさよ婆さんに詰問します。

「おい、婆さん、ここを、蓮如が通らなかったか」
「お坊さんたちなら、川下へ行かれたよ」
「本当か?隠し立てすると命はないぞ」
「疑うんなら、どこでも捜せばいいじゃないか」

 僧兵は家捜ししますが、見つかりません。やむなく、急いで川下へと
走り去っていきました。
 上人は、間一髪、危機をまぬがれ、以来、数日間、おさよ婆さんの
案内で、般若岩と呼ばれる洞窟に身を隠されることになりました。
 般若岩は、蓮如上人法難の場として、長く大内村の人々によって
死守されてきました。毎年、欠かさず、法要が勤修され、上人の
ご苦労をもしのんできました。が、昭和58年、廃村に伴い、廃れ、
今は、来訪者も皆無といいます。
 大内峠から2キロほど下った国道沿いに、おさよ婆さんの墓があり、
その碑文には、こう書かれています。
「蓮如上人、越前豊原の僧徒に追われたまい、大内の鈴村家の麦打ち中、
その場の下へ飛び込ませられたり。間もなく僧徒押し寄せ、家捜し
いたせども、さらに気づかず引き返せり。それより、おさよ婆、上人を
この上の般若岩にご案内申し上げ、荒れ狂う雨の日も分け登りて、
朝夕食事を運びて、お仕え申せり」

鬼に襲われた時、清は。

9月 4, 2010 - 11:27 am コメントは受け付けていません。

 「嫁威し肉附の面」の由来について、親鸞会で続きを聞くことが
できました。

(先月までのあらすじ)

 蓮如上人が北陸布教の拠点とされた吉崎御坊(福井県)近くに
住む清は、突然、主人と二人の子どもを立て続けに亡くす。それが
縁で、真剣に聞法するように。
 だが、同居の姑は、熱心に吉崎へ向かう嫁の態度が気に入らない。
たくさんの仕事を言いつけ邪魔をするも、聞きたい一心の清は、
難なくこなして吉崎へ。
 思案の末、姑は、清の通る道で待ち構え、鬼の面をかぶって
襲い掛かった。

 ところが、清は、出てきた鬼にひるむどころか、

「はまばはめ 食わば食え 金剛の 他力の信は よもやはむまじ」
(私を取って食うなら、食えばよい、
 しかし無上仏より賜った他力金剛の真実信は、
 絶対に壊すことはできないぞ)

と一首、口ずさみ、また念仏称えながら、吉崎への道を急ぎ足で
駆けていきます。

 思わぬ展開に姑は、嫁が帰る前にわが家へ戻り慌てて面を取ろうと
しますが、どうしたことか顔に張り付き離れません。無理にはがそうと
すると肉が剥がれんばかりです。

 そのうち、嫁が帰ってきました。清が家に入ると、先ほどの鬼が
いるではありませんか。
 観念した姑は泣き崩れ、
「わしだ。許してくれ。鬼の面が取れなくなってしまったんじゃ。
助けてくれ」
と、ありのままに清に打ち明けました。
「まあ、お母さまでしたか」
 清も力を合わせて面を取ろうとするが、どうにもなりません……。

 上人を頼って、姑と二人、御坊を訪ねました。
 苦しむ姑に、蓮如上人は、どんな人でも必ず助けたまう弥陀の本願を
懇ろに説かれました。

 初めて聞く真実の仏法の素晴らしさに、嫁の聞法を邪魔してきた
これまでの悪行におののき、心から懺悔したのです。
 すると、鬼の面は、ぽろりと落ちたといいます。

 有名な「嫁威し肉附の面」の由来です。

「お前の命、もらったぞ」と鬼がどなった

8月 5, 2010 - 5:17 pm コメントは受け付けていません。

 親鸞会で、先月の「嫁脅しの面」の続きを聞きました。

 吉崎御坊(福井県)の近くに住む清は、夫と二人の子どもを、突然、
亡くし、痛ましい無常に、蓮如上人から真剣に仏法を聞かずにおれなく
なっていました。

 一方、清の姑は大の仏法嫌い、わが子や孫が先立っても、
驚くどころか、毎晩のように聞法のため吉崎へ急ぐ嫁が苦々しく
思えてなりません。

 何か邪魔だてできないかと一計を案じた末、法話の日に合わせ、
「一升の米を、今夜中に粉にしてくれ」
と嫁に臼ひきの仕事を与えます。

 が、清は、早速、黙々と粉を引き、たちまち仕事を終えて、吉崎へ。
仏法聞きたい一心からのことでした。

「一升では少なかったわい」

 姑は、次の日、倍の量を与えます。
 ところが、清はあきらめません。何の力か、仕事がはかどって、
喜んで蓮如上人のもとへと向かいました。
「臼ひきぐらいでは足りぬな。何かいい方法はないか」
 策を練った姑は、「鬼に化けて、吉崎へ向かう道中で脅してやろう。
恐ろしくて、二度と夜道を出歩かなくなるだろう」と思い立ちました。

 翌日、家に代々伝わる鬼の面をつけた姑が、白装束に身を固め、
人気のない寂しい谷に身を隠し、待ち構えます。
 そこへ、いつもどおり、一日の仕事を終えた清が、法話に遅れては
ならぬと、念仏を称えながら足早に通り過ぎようとやってきました。

 すかさず、鋭い鎌を手に、白髪を振り乱した鬼が、暗闇から、
バッと躍り出ます。
「どこへ行く。お前の命、もらったぞ」
 恐ろしい形相をした鬼がしゃがれた声でどなります。(続く)

夫、二人の子を一度に亡くし、「次は私の番」と清。

7月 6, 2010 - 11:54 am コメントは受け付けていません。

 蓮如上人の建立された吉崎御坊(福井県)からほど近い山十楽村に、
夫・与三次と妻・清の夫婦が暮らしていました。二人の子供に恵まれ、
姑も健在の五人家族で、百姓とはいえ、幸せを感じながらの毎日でした。

 ところが、与三次は、突然、病に倒れ、この世を去ってしまいます。
苦楽をともにしてきた夫を亡くし、大黒柱を失った清でしたが、子を
養わねばならぬと、女手一つで、懸命に働き始めます。

 しかし、今度は、その二人の子までが相次いで病死してしまった
のです。立て続けに襲った身内の不幸に、わが身の無常を知らされた
清は、深刻な不安にさいなまれます。
「あまりに、むごい……。一体、何を明かりに生きればいいのでしょう
か。次は、私が死ぬ番。死ねばどこへ行くのでしょうか?」

 ちょうどそのころでした。「あなたの暗い心を晴らしてくださる方は、
蓮如上人しかおられない」と、清が知人から聞かされたのは……。

 当時、吉崎御坊には、近郷はもとより、東北や近畿地方からも
参詣者が参集し、大変なにぎわいを見せていました。清は、夫の命日に、
吉崎御坊へ参詣したのです。

「人の一生は、漆黒の天を走る稲妻のように一瞬で過ぎていきます。
いつ、どんな病気で死ぬか分からないし、明日まで生きておれる保証すら
ありません。生涯かけて、営々と積み上げてきた地位、名誉、財産も、
妻、子供も、臨終には、何一つ、明かりにはなりませんよ。みんな、
夢、幻のような、儚い楽しみでしかないからです。真っ暗な心を抱え、
一人ぼっちで、泣き泣き、三塗の大河を渡らなければならない時が、
必ず、あります。だから、後生は一大事なのです。絶対の幸福に
救い摂ると誓われた弥陀の本願を聞き抜きなさい」

 蓮如上人のご説法は、清の心に、深く突き刺さりました。すぐに清は、
真剣な聞法に身を沈めます。
『願慶寺縁起』は、「立所に信心決定して無二の信者となりき」と伝えて
います。