Archive for the ‘蓮如上人*プロフィール’ Category

急追する僧兵たち、「おい、蓮如が通らなかったか」

11月 5, 2010 - 6:29 pm コメントは受け付けていません。

 親鸞会で、蓮如上人のエピソードについて
聞くことができました。

 吉崎御坊建立から2年、蓮如上人は、
山中温泉へ向かわれます。激しいご布教の
お疲れを癒されるためだったかもしれません。

「文明五年の九月中旬、御養生のためとて、
加州山中に湯治したまうに、かしこの道俗
つどい集て、御化導に預れり」
(蓮如上人縁起)

 湯治中とはいえ、休まれることなく、
温泉宿に集う人々を教導されたことが
分かります。
 ところが、吉崎から北陸道経由で15キロ
ほどの山中(石川県)までの道中で、大変な
ご苦労をされています。それは、吉崎からの
ご出発直前、天台宗の僧兵たちが待ち伏せ
しているとの知らせが入っていたからです。

 かつては、天台宗の豊原寺や平泉寺など、
大きな勢力下にあった越前(福井県)も、
蓮如上人がご布教を始められるや、本願寺に
転派する寺が続々と現れました。当然、
上人は、彼らの怨嗟の的に。やがて、怒り
心頭に発した僧兵たちは、上人のお命を
執拗に狙うようになったのです。
 お弟子・円慶房が進言します。
「遠回りですが、敵の意表をつき、豊原寺の
裏山から大内峠を越え、山中温泉に行かれては
いかがでしょうか」
 元は豊原寺末寺の住職で、地元の地理に
明るい円慶房の言をいれられ、蓮如上人は、
山越えの道を進まれました。現在の
国道364号線を、丸岡町(福井県)から
山中町に向かうルートです。つづら折りの
急坂を上り切ったところにある大内峠から、
蓮如上人は、ふもとを一望されました。
美しい景色がパッと広がるはずが、
一瞥する間もなく目に飛び込んできたのは、
ふもとから急追する僧兵たちの一団です。

 すわ、一大事!

 案内役の円慶房は、その村のおさよ婆さんに
救いを求めます。婆さんは早速、裏のムギワラ
の下に一行をかくまい、家の前にござを敷いて
麦を打っていました。やがて、ドカドカと
駆け込んできた僧兵が、おさよ婆さんに
詰問します。

「おい、婆さん、ここを、
蓮如が通らなかったか」

(つづく)

蓮如上人プロフィール

4月 14, 2009 - 11:30 am コメントは受け付けていません。

蓮如上人を語るブログへようこそ。

このブログでは、蓮如上人にまつわる様々な話を載せていきます。

浄土真宗本願寺中興の祖と言われる蓮如上人はどんな人なのか?

布教の歩みや弟子たちは?

蓮如上人に関することならこのブログにお任せ下さい。

今回は、まずは基本。

プロフィールからご紹介いたします。

幼名・布袋丸(ほていまる)

法名・蓮如(尊称・蓮如上人)

応永22年2月25日、京都の大谷本願寺にてご生誕

明応8年3月25日、京都の山科本願寺にてご往生

享年85歳

父君は本願寺第七世の存如(ぞんにょ)上人。

母君は不明(存如の母に給仕していた女性と伝えられている)

妻とは幾度も死別を重ねたため、生涯に渡って5人

子は男子13人、女子14人の計27子

長禄元年6月17日・43歳のとき、本願寺第八代法主(留守職)就任

著作に「御文章」「正信偈大意」がある

・・・・・・

蓮如上人の享年は85歳。

その生涯はまさに波乱万丈です。

まず、母が父の正妻ではないため、幼くして母と離別。

父の長男であるがゆえに継母には辛くあたられます。

法主となられてからも、本願寺の繁栄を妬む比叡山の僧兵に命を狙われ続けました。

そのため、全国を巡っての布教は難を極めます。

しかし、その道中の説法に命を狙っていた者でさえも感激して蓮如上人の弟子となったといいます。

蓮如上人の信心や人柄には、誰もが惹かれてやまない魅力があるのでしょうね。

私も蓮如上人に惹かれた人間のひとりです。

蓮如上人の生涯、このブログで詳しく紹介していきたいと思っています。

これを読めば、蓮如上人を知らない人も知っている人も惹かれること間違いなしですよ。

乞うご期待!