蓮如上人と比叡山延暦寺

5月 10, 2009 - 2:21 pm コメントは受け付けていません。

蓮如上人が法主となった当時、本願寺は目も当てられないほど廃れていました。
その理由のひとつに、比叡山延暦寺の末寺を余儀なくされていたことが挙げられます。
現在とは違って、当時の本願寺は仏教界の中では微々たる存在であったのです。
独立寺院として認められてさえいませんでした。
存続のためには延暦寺の末寺としてあるしかなかったのです。

現在、浄土真宗が全国津々浦々まで浸透しているのも、ひとえに蓮如上人のおかげです。
では蓮如上人は本願寺再興のために何をしたのか。

まず最初のひとつが、延暦寺と宗旨を異にすることです。
といっても、これは容易なことではありません。
延暦寺は、なんといっても仏教界の頂点に君臨する寺院です。
そして、屈強な僧兵たちを抱え、武力もあって過激なことでも有名。
宗旨を異にしようとすれば直ちに反逆者と見なされ、本願寺など容易に弾圧されます。
門徒たちが渋る中、蓮如上人はそれでも延暦寺からの脱却を宣言しました。
本願寺内の天台風の装飾は全てとりはらう。
また、御本尊を絵像でも木像でもなく、御名号ただひとつに統一する。
そうして、蓮如上人は延暦寺に対して宣戦布告ともいえる行動をとったのです。

それを知った延暦寺の僧たちは、寛正6年1月8日、とうとう本願寺に攻め入ります。
堅田門徒の協力や佐々木如光の機転で、蓮如上人は凶刃から逃れるのですが・・・
3月21日、再度の本願寺襲撃によって、本願寺は完全に破壊されるのです。
蓮如上人51歳、法主に就任してから8年目のことです。
これが「寛正の法難」です。

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