荒れ狂う雨でも、おさよ婆さん、食事を運ぶ

11月 30, 2010 - 12:43 pm コメントは受け付けていません。

 親鸞会で、蓮如上人についてのエピソードを聞きました。

(前回までのあらすじ)

・蓮如上人が吉崎を拠点に布教を始められるや、豊原寺や平泉寺など
天台宗の大寺院の勢力下にあった末寺が、上人を慕い、次々に改宗した。
怒り心頭に発した天台宗の僧兵たちは、山中温泉(石川県)へ向かわれる
道中、蓮如上人を急追し、お命を狙わんとする。

 山中温泉まで、蓮如上人の案内役を務めた円慶房は、峠で僧兵たちの
姿を確かめると、すぐに近くの村のおさよ婆さん宅に駆け込みます。
 婆さんは早速、裏の麦わらの下に一行をかくまい、家の前にござを
敷いて麦を打っていました。やがて、ドカドカと駆け込んできた僧兵が、
おさよ婆さんに詰問します。

「おい、婆さん、ここを、蓮如が通らなかったか」
「お坊さんたちなら、川下へ行かれたよ」
「本当か?隠し立てすると命はないぞ」
「疑うんなら、どこでも捜せばいいじゃないか」

 僧兵は家捜ししますが、見つかりません。やむなく、急いで川下へと
走り去っていきました。
 上人は、間一髪、危機をまぬがれ、以来、数日間、おさよ婆さんの
案内で、般若岩と呼ばれる洞窟に身を隠されることになりました。
 般若岩は、蓮如上人法難の場として、長く大内村の人々によって
死守されてきました。毎年、欠かさず、法要が勤修され、上人の
ご苦労をもしのんできました。が、昭和58年、廃村に伴い、廃れ、
今は、来訪者も皆無といいます。
 大内峠から2キロほど下った国道沿いに、おさよ婆さんの墓があり、
その碑文には、こう書かれています。
「蓮如上人、越前豊原の僧徒に追われたまい、大内の鈴村家の麦打ち中、
その場の下へ飛び込ませられたり。間もなく僧徒押し寄せ、家捜し
いたせども、さらに気づかず引き返せり。それより、おさよ婆、上人を
この上の般若岩にご案内申し上げ、荒れ狂う雨の日も分け登りて、
朝夕食事を運びて、お仕え申せり」

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