その後、浄円坊の開いた寺は……

11月 21, 2011 - 7:17 pm コメントは受け付けていません。

■前回の続きを、親鸞会で聞くことができました。

(前回までのあらすじ)

蓮如上人は、布教先から吉崎御坊(福井県)へ
帰路を急いでおられた。安原村(現・福井市)
まで戻った辺りで日が暮れ、付近の民家に
一晩の宿を求められる。

 仏法嫌いな家の主・重兵衛は最初、邪険に
断わり、果ては、一晩、門前で休まれた上人に
物をぶつける。

 だが、なおも「こんな男にこそ、弥陀の本願を
伝えたいものだ」と一心に念じる蓮如上人の
言葉を聞き、さしもの重兵衛も心を打たれ、
聞法に身を沈めるように。程なく、上人の
お弟子となり、やがて、自宅に御名号本尊を
お迎えして、本勝寺を開いた。

(本文)

 しかし、本勝寺三代目・浄了の時、安原村に
戦乱が起き、移転せざるをえなくなります。
 浄了は命懸けで御名号を奉持し、追っ手を
振り切って、住み慣れた村を脱出し、各地を
転々とした末に、能登半島の門前町に本勝寺を
再建、現在に至っています(石川県門前町道下)。

 今は、山のふもと、畑に囲まれるように、
ひっそりと建ち、近くまで行っても、
どこが寺か、尋ねなければ分からないほど。

 御本尊は、かつて戦乱の中、浄円坊が命懸けで
お守りした御名号ではなく、木像に。
 蓮如上人は、御本尊について、どのように
ご教示されているでしょうか。

「他流には『名号よりは絵像、絵像よりは木像』
というなり。
 当流には『木像よりは絵像、絵像よりは名号』
というなり」(『御一代記聞書』)
「他流(迷っている者たち)は、名号よりは
絵像がありがたい、絵像よりも木像の方がもっと
ありがたい、といって絵像や木像を本尊として
いる。
 しかし、浄土真宗、親鸞聖人の教えは、
木像よりは絵像、絵像よりも御名号が最もよいと
教えられたのだから、真宗の者は、みな御名号を
御本尊とせよ」

 浄土真宗の正しい御本尊は御名号なりと、
明らかに、戒めておられるのです。
 蓮如上人のご金言を、かみしめずにおれません。

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