浄土真宗の会合の目的

2月 29, 2012 - 4:36 pm コメントは受け付けていません。

(前号のあらすじ)

 超勝寺(福井県)に立ち寄られた蓮如上人は、
その日、設けられていた月一度の会合の様子を
ごらんになり、
「仏法の次第以てのほか相違せり」
と激怒なされている。
 各地の門徒が寺に集まってはいるものの、
実態は、住職を囲んだ酒宴に過ぎなかったからだ。
 浄土真宗で、会合とは、何のためにあるのか。
 蓮如上人にお聞きしてみよう。

 浄土真宗における会合の目的を、蓮如上人は
『御文章』にこう教えられる。

「当流において毎月の会合の由来は、何の用ぞ
なれば、在家無智の身をもって徒に暮し、徒に
明して、一期は空しく過ぎて、終に三塗に
沈まん身が、一月に一度なりとも、せめて
念仏修行の人数ばかり道場に集りて、
『わが信心は、ひとの信心は、如何あるらん』と
いう信心沙汰をすべき用の会合なるを……」
 在家の我々は、自分の心のままに生活して
いると、いたずらに月日を送ってしまう。
一生はあっという間に過ぎ去り、臨終を迎え、
三悪道(地獄界・餓鬼界・畜生界)へ堕ちて
ゆかねばならない。だから、せめて毎月一度でも
会合の日を決め、仏法を聴聞し、「私の信心は
こうだ、あなたはどうか」と信心の沙汰をして、
光に向かうのが会合の目的なのだ、とご教示で
ある。

 超勝寺の会合を見られた上人が、厳しく
戒められたのも、本来の目的を完全に見失い、
ただ、酒、飯、茶、世間話などに終始して
いたからだ。

「言語道断あさましき次第なり。所詮、自今
已後は、かたく会合の座中において、信心の
沙汰をすべきものなり」
と、蓮如上人は、『御文章』一帖目十二通を
結んでおられる。
 いつの時代でも、決して忘れてはならない
ご金言に違いない。
 門徒にはこのように『御文章』で戒められたが、
一方、超勝寺の住職には厳罰を与えられた。
「当住持は、この門弟あずかるべき器にあらず」
(『反故裏書』)と仰って、住職を罷免し、
追放されたという。
 ここで「門弟あずかるべき」とあるのは、
親鸞聖人から、「間違いなく、往生浄土の身に
救われるまで導きなさいよ」とお預かりして
いる大切なご門徒だからである。門徒は決して
住職の私有物ではない。住職の責務がいかに
重大か、知らされる。

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