称名正因の異安心

9月 1, 2012 - 12:18 pm コメントは受け付けていません。

 親鸞会で、蓮如上人のことを聞いてきました。
 いつも、詳しく教えていただきます。

 北陸には早くから、真宗諸派が進出していました。
 ところが、浄土真宗とは名ばかりの、本当の聖人の
教えと離れた邪義、異安心が横行していたそうです。
 蓮如上人が建立された吉崎御坊は、これら異端の
者たちとの決戦を意味しています。『御文章』を通じて
上人は、平易かつ明快に、信心の正邪を説き切られて
います。

 その一つが、称名正因の異安心です。
 ある日、赤尾の道宗(富山県)が、吉崎御坊に参詣し、
蓮如上人に申し上げました。
「念仏さえ称えていれば助けていただけるのだ、と
思っている人が大勢います。嘆かわしくてなりません」

 これは、称名正因の異安心といわれます。赤尾の
道宗が蓮如上人に申し上げているくらい、北陸に蔓延
していたに違いありません。
 蓮如上人は即座に、その日から四通の『御文章』を
矢継ぎ早に書かれ、参詣者に教示されています。

「ただ口にだにも南無阿弥陀仏と称うれば助かるべき
ように皆人の思えり。それは覚束なきことなり」
                 (三帖目二通)

「ただ声に出して念仏ばかりを称うる人は、おおよう
なり。それは極楽には往生せず」  (三帖目三通)

「ただ声に出して南無阿弥陀仏とばかり称うれば、
極楽に往生すべき様に思いはんべり。それは大に
覚束なきことなり」        (三帖目四通)

「ただ何の分別もなく、南無阿弥陀仏とばかり称うれば、
皆助かるべきように思えり。それはおおきに覚束なき
ことなり」            (三帖目五通)

 浄土真宗の教義の骨格は、
「信心正因、称名報恩」
であり、信心一つで助かるのであって、称名念仏は、
御恩報謝であると教えられています。

「阿弥陀仏は、お慈悲な仏さま、念仏さえ称えていれば、
死んだら極楽、死んだら仏」などという妄言は、真宗の
教えを根本から転覆させてしまいます。
 親鸞聖人や蓮如上人は一度も、「称名念仏励め、
そうすれば助かる」などと仰ったことはないからです。

 親鸞聖人や蓮如上人が教えられていないことを、
どれだけ信じても、真の救いにはあえません。
 まず、正しい教えをよくお聞きしなければならないと
知らされます。

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