十劫安心の異安心

12月 10, 2012 - 10:28 am コメントは受け付けていません。

 蓮如上人のお弟子について、親鸞会で聞きました。

 蓮如上人が、『御文章』に何度もその誤りを破ってお
られるのが、十劫安心です。『御文章』2帖目11通には
次のように教えられています。
「『十劫正覚の初より、我等が往生を、弥陀如来の定め
ましましたまえることを忘れぬが、即ち信心のすがたな
り』といえり。これ、さらに弥陀に帰命して、他力の信
心を獲たる分はなし」
 十劫安心とは、「十劫の昔にすでに我々は助かってし
まっているのだから、今さら求めることも聞き歩くこと
もいらぬ」という間違った信心をいいます。一劫は四億
三千二百万年ですから、十劫とは気の遠くなるような昔
であると分かるでしょう。阿弥陀仏が、南無阿弥陀仏の
名号を完成してくだされた時をいいます。
 名号には、一切の苦しみを除き、楽を与える抜苦与楽、
破闇満願の大功徳が収められています。例えれば名号は、
飲めばどんな病気でも治る妙薬ですが、薬のできあがっ
たのを、病気の治ったことと早合点した間違いが、十劫
安心です。薬ができていても、飲まねば病気は治らない
からです。私たちは、阿弥陀仏から、名号を賜って、救
われます。

 親鸞聖人は、
「たとい 大千世界に
    みてらん火をも すぎゆきて
 仏の御名を聞く人は ながく不退にかなうなり」
 この世が、たとえ火の海になっても、その中をかきわ
けて聞法せよ、と仰います。
 蓮如上人また、
「火の中を わけても法は聞くべきに
   雨風雪はもののかずかは」
と、数え切れないほど「早く名号を頂いて、弥陀に救わ
れてもらいたい」と、『御文章』に書いておられます。
 名号が完成した時に、すでに私たちが助かっているな
らば、両聖人とも、「真剣に聞けよ」「早く薬を飲めよ」
と勧められるはずはありません。

Comments are closed.