金森の合戦

9月 28, 2009 - 11:42 am コメントは受け付けていません。

 琵琶湖岸・赤野井の浜に立てば、対岸には比叡山が間近に迫ります。
 蓮如上人が活躍した当時、熱心な門徒が集まった堅田や金森も近くで、比叡山から見下ろせる
位置にありました。延暦寺からすれば、自分たちの膝元で本願寺が急速に発展するのは、当然、
おもしろくありません。攻撃は、蓮如上人のみならず、本願寺の門徒にも及んでいました。

 門徒の家に押し入って御本尊を奪い、金銭をゆすり、家屋を壊します。幕府も、再三、制止命令を
出しますが、一向におさまりません。そこで門徒は、比叡山の横暴を避けて、
蓮如上人まします金森道場へ集まるように。町の周囲は水濠や土塁で囲まれ外敵の侵入を防ぎ、
中は、道場(寺院)を中心に二百戸近い民家が建ち並び、道路も碁盤の目状に整備されていました。
安心して、仏法を聴聞できる町造りだったようです。

 ところが、文正元年(一四六六)八月、比叡山が金森を襲うというウワサが流れ、
まもなく、三百人余の暴徒が金森を包囲します。しかし、堅田からの援軍や門徒決死の防戦で、
蓮如上人は、かろうじて敵中を突破され、難を逃れます。
 上人の無事を見届けた門徒衆は、敵の主将の首級をあげ、13人討ち取る勝利でした。
意気盛んに、蓮如上人へ報告に伺うと、上人は大変ご立腹になります。
「人を殺すとは、言語道断。正法か邪法かは、法論で決着をつけるべきだ。すぐに、軍を解散せよ」
 厳命がくだされます。

 これが、史上初の一向一揆といわれています。

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