単身、比叡山へ。法住、決死の和平交渉

10月 26, 2009 - 5:04 pm コメントは受け付けていません。

先回、比叡山の僧兵と真宗門徒が衝突した史上初の一向一揆について、お話しました。
今回は、その関連で、法住のエピソードを紹介しましょう。

一向一揆後、まもなく、その余波が、今度は堅田を襲います。というのも、金森で奮闘した堅田門徒を
攻撃しようと、比叡山が動き出したからです。
門徒側も法住の住む本福寺に立てこもって武装し、一触即発の事態となりました。

しかし、蓮如上人からは、「武力に訴えてはならない」の厳命があります。何としても衝突は
避けなければなりません。
そこで、法住は、80貫文(約500万円)を山門に積み上げ、和平への意思を表明しました。

さらに、和平交渉のため法住は、単身、比叡山へ乗り込みます。全山の僧が詰め掛ける
根本中堂で、法論が始まりました。

「本願寺は邪法だ。なぜ、新たに名号を本尊とするのか」

早速、怒声が飛びます。
そこへ法住、サッと立ち上がり、柱に御名号をお掛けし、

「我ら在家の者は、罪深く、学もない凡夫。出家して修行に身を投じることなどとうてい及ばぬ。
しかし、阿弥陀仏は、このような罪悪深重の凡夫を目当てに本願を建てておられるのだ。
だから、阿弥陀仏一仏を尊崇し、御名号本尊なのである。どうして、邪法呼ばわりするのか」

根拠を提示してよどみない法住の熱弁に、堂内は、水を打ったように静まり返ります。

ついに、「今かけられるところの本尊、免し申す」の声が上がりました。

多数の僧相手にひるむことなく、完膚なきまでに論破した法住は、この時、70歳。
蓮如上人は高く評価され、この時の御名号をご下附されました。
法住はかしこまって拝受し、以来、堅田・本福寺の御本尊にお迎えしたのです。

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